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aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【音楽】   THA BLUE HERB / THA GREAT ADVENTURE - MIXED BY DJ DYE

 

THA GREAT ADVENTURE - Mixed by DJ DYE

THA GREAT ADVENTURE - Mixed by DJ DYE

 

 

ここに一冊の手記がある。
2007年4月3日のものである。

 

「なぜ弁護士になりたいか?」

「求道ということを仕事で追求したいから。
 すべてをかける仕事をしたい。
 正義を探求し、自分が自分であるアイデンティティの拠り所にしたい。
 人間に触れ、人の痛みをわかり、正義とは何かを追求したい。
 すべては求道者になるための第一歩」

 

当時、私は弁護士になりたかった。
もっと言うと、求道的な表現者になりたかった。

 

その際にモデルになっていた人間が2人いた。
一人は弁護士の荒井裕樹さん、もう一人は今回のレビューの主役のBOSS THE MC

 

特に私の20代前半において
最も影響を与えた人間は「求道的な表現者」、
THA BLUE HERBBOSS THE MCであることは間違いがない。

 

当時の私にとって
BOSS THE MCは精神的支柱以外の何者でもない。

 

1、THA BLUE HERBとの出会い

 

まず私は1stの頃からのリスナーであり、
THE WAY HOPE GOESまで熱心なリスナーであった。
今でも渋谷のセンター街にあったHMVで
2ndのアナログを購入したことを覚えてる。
これは、以前登場した丸井寛道さんに売ったけれども。

http://spade77.hatenablog.com/entry/2017/04/09/162818

そして、今のTHA BLUE HERBには何の興味も無い。

 

これはBOSS THE MCもインタビューなどで語っていることだが、
「俺達はヒップホップに受け入れられるよりも、まずパンクに受け入れられた。」

 

これは、1stがパンクバンドのSlangのレーベルから
出たこともあって、実際に当時はそういった印象もあった。

 

当時、私は
ハードコアパンクばかり聞いていたが
一つの違和感を感じていた。

 

様々な方々がパンク精神論を披露しつつ
「パンクとは思想であり、メッセージである」と述べてるにも関わらず
なぜ日本人にしか受け入れられない曲を英語で歌うのだろうかという
極めて真っ当な違和感があった。

 

外人が歌ってる曲の歌詞カードを読んで
心からその人の主張、メッセージを受け取ることなんて
本当にできるのだろうか。

 

そんな違和感が深く残っていた。

 

その一方、ヒップホップは
当時キングギドラ等が流行っており、
ダボダボの服を着て、カラオケで駄洒落しながら
悪さ自慢、不幸自慢をするようなものだとしか
当時の私には思えなかった。

 

黒人がやっているヒップホップも、
それに影響を受けて作られた日本語ラップも馬鹿にしていた。

 

そんな中、パンクに対する不満と
ヒップホップに対する不満の両者に応えるような形で現れたのが
THA BLUE HERBだった。

 

駄洒落のようにならないように、
最大限の配慮を持って韻を踏みながら、
しっかりとメッセージを響かせる。

 

ラッパーとは詩人である。

 

それを教えてくれたのがTHA BLUE HERBだった。

 

日本人が作ったカウンターカルチャー史上
最高の一曲はTHA GREAT ADVENTUREに収録されている
アンダーグラウンド VS アマチュア ~ TBHR ANTHEM 」であることは

間違いない。

 

この曲は完璧であり、
この曲を超えるものはおそらく出てこないだろう。

 

2、THA BLUE HERB

 

このラッパーの基本スタンス、
特にTHE WAY HOPE GOESまでのスタンスは
「東京 VS 地方」「メジャー VS アンダーグラウンド」、
そういった意味でのカウンターカルチャー

 

THE WAY HOPE GOES までは
まさにそれをひたすら語り続けつつ、実際に実現してしまった。

 

問題は、その後である。

 

結局、BOSS THE MC
言ったことはすべて実現されてしまった。
その結果、次に何を言うべきかが
全く出てこなくなってしまった。

 

「追う者は追われる者に勝る」

 

追う者が追われる立場に辿り着いた以上、
その言葉に対してアンサーを示すべきだと思うが
BOSS THE MCは結局、何も言うことができなかった。

 

「俺らの変えた時代は古いんだ。
 さらにその変えた時代を変えたい。」

「日常を歌いたい」

 

とは言うものの、
明らかに言葉の力が弱まった感が強い。

 

そう思えたため、
私はTHE WAY HOPE GOESまでしか
熱心なリスナーではなかった。

 

3、THA GREAT ADVENTUREの評価

 

このCDを実際に購入した。

卒業アルバムをめくるようにこのCDを車の中で聞いている。

 

あくまでこのCDはMIXであるため
収録曲が丸々一曲入ってるといったものではなく、
実際のライブで使うような形で切り取られた、収録曲の一部が入っているような形。

 

これまでTHA BLUE HERBにおいて
一回もこういった試みがなかったことが不思議ではあるが、
実際に購入してよかったと思う。

 

残念な点と言えば
1stから2ndにかけてのBoss the mcの客演は、かなり出来がいいため
それも入れて欲しかった。

 

「HIP HOP番外地」が、実はかっこよかったなとか
新しい発見もあったりするし、私にとってはプルースト効果を堪能するように
過去の楽曲を聴きながら、当時の人生を振り返ったりする。

 

THA BLUE HERBを振り返りたい方、
THA BLUE HERBをこれから聴こうと思っている方、
そういった人は満足できる内容だと思った。

 

2枚目のONOのビートも、とても良い。

 

4、未だ生き続けるカウンターカルチャー精神

 

私は
カウンターカルチャーに対して
アンビバレントな感情を持っている。

 

以下の昔、知恵袋に書いた質問のような感情も
もちろん現在も持っているし、私は黒人文化を無条件に肯定するつもりは
全くないし、黒人が作ったヒップホップを聴く事はあっても歌詞は絶対に読まない。

 

http://spade77.hatenablog.com/entry/2017/07/07/122254

 

しかし、
私の10代後半から20代中盤までの中枢には
カウンタカルチャーがあったことは
間違いない事実である。

 

私は10代後半から
ハードコアパンクを聞き、
CRASSに強い影響を受けたり、
特にクラストというジャンルにはまっていた、
Abraham crossというパンクバンドが大好きだったし、
SDSのscum system killはとても重宝したし、
GloomのVHSはテープが擦り切れるほど見たし
アナログは300枚ほど持っていた。

 

その後、THA BLUE HERBに出会い
パンクをある程度清算すると同時に
THA BLUE HERBにのめり込んだが、
THE WAY HOPE GOES以降の活動に全く興味がなくなり、
それと同時に私は20代中盤が終わり
カウンターカルチャーとも手が切れた。

 

その後、
カウンターカルチャーを葬り去った結果
自分の精神的支柱が何もないことに気づき
それを形成するべく、哲学書を読み
自らの哲学を形成する過程を盗聴され
哲学ブームが生まれた。

 

私は現在、このCD以外に
カウンターカルチャーのCDを一枚も持っていないし、
おそらく今後買うことはないだろうと思っている。

 

しかし、
カウンターカルチャーを捨て、哲学を学ぶことを通じて
昨年に入ってから、自分が人生において大切にしてきたものの端緒は
カウンターカルチャーによって形成されたものであることに気づいた。

 

それは「パレーシアの精神」である。

 

パレーシア。(真実 対 権力)

真実は真実である為に
真実は求められるべきである。

 

少し前の話であるが、
当時私は公企業で事務職として働いていたが、
退屈な事務であり、いかに仕事をやらないために
仕事をしているふりをするかを同僚と競うような形で仕事をしていた。

 

本当にやりたいことをやるのではなく、
保身のためにやりたくないことをやるといった
非本来的な生き方、頽落していた。

 

本来的な生き方、
非本来的な生き方、
これはハイデガーの術語であるが
定言命法仮言命法
これはカントの術語である。

 

このような類似に気づくと同時に
これは結局フーコーの語る「パレーシア」ではないかと
思うようになった。

 

その後、それを掘り下げるべく
フーコーの「ルーヴァン講義」という本を読んだところ
後書きにおいて晩年のフーコー
パレーシアという観点から哲学史を記述する野望を持っていたという話が
書かれており、私が考えたことがここにあったと驚いた。

 

悪をなし真実を言う: ルーヴァン講義1981

悪をなし真実を言う: ルーヴァン講義1981

 

 

こうして私が探求していたものが
「パレーシア」であることがわかったが、
それと同時に自分の人生において黒歴史化していた
カウンターカルチャーを認めてやろうと思うようになった。

 

反権力主義。(弱者 対 権力)

 

私がカウンターカルチャーを聴いていたこと。
私が早稲田大学を卒業したこと。
私が弁護士を志したこと。

 

私は若い頃、
反権力主義に美意識を感じていたが、
ニーチェを学び、そこにルサンチマンが混ざっていることに気づき、
反権力主義に蓋をした。

 

しかし、最近思うのは
私は反権力主義に惹かれたのではなく、
パレーシアに惹かれていたということ。

 

これから熱心に
カウンタカルチャーに嵌ることはおそらくないが、
私の精神的支柱を形成したのはカウンターカルチャーである。

 

最近、私はそういったことを

自分史として認められるようになった。


ありがとう、俺の友達よ。