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aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【哲学】    中島義道 / 明るいニヒリズム

私はこれまで哲学書を読んできたが、
日本の哲学者の中で最も影響を受けたのは中島先生である。

 

中島先生は天下の東大法学部在学中まで
典型的な優等生として歩んできたが、若い頃からの哲学上の煩悶が燻り
優等生の階段をドロップアウトし、大森荘蔵に師事し、哲学者の道を歩まれた。

 

オーストリアへの留学後、
大学の哲学の先生となって、数年過ごすも
哲学研究をするために哲学教師になったわけでないことに気づき、
大学教授のポストを捨て、作家兼哲学塾講師として現在に至っている。

 

中島 義道 主宰 哲学塾カント

 

そういった生き方を見て、
私はチェ・ゲバラの「別れの手紙」を思い出した。

 

チェ・ゲバラ 別れの手紙 :: ゲバラ語録:名言・言葉をとおして知るチェ・ゲバラ像

 

著作がたくさんあり、様々なところで
自分のこれまでの経緯を述べられてるが、最も明確に描かれているのは
「孤独について」であるように思える。

 

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

 

 

私は精神的欠如を満たすために
これまで本を読んできたが、本を読み始めた頃に
よく中島先生のエッセイを読んでいた。

 

哲学者としてだけでなく、
物書きとしてもたいへん有名であり、
誠実さを徹底した結果の非常識と思われる性格が面白いため
これまで読者に愛されてきたように思える。

 

おそらく日本で最も有名な哲学者である。

 

さて、中島先生の学説を評価できるほど
中島先生の本を理解できてはいないが、中島先生の主著は何かと問われれば
おそらく「明るいニヒリズム」ではないかと思われる。

 

明るいニヒリズム (PHP文庫)

明るいニヒリズム (PHP文庫)

 

 

先生は幼い頃、死に対する恐怖を感じて
その恐怖を克服するためにこれまで哲学をされてきた。

 

なぜ、死は怖いのか?

 

先生の場合、
大昔から現在に至り、その後人類が消滅するまで続く間に
勝手に生まれ、勝手に死んでいく虚しさに耐えられないということ。

 

「どうせ死んでしまう」

この言葉が先生の口癖とされる理由はそこにある。

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以上のような直線で表現される時間軸に異を唱え、
仮にこの図がなかったならば、どれだけ救われただろうと
後書きで書かれている。

 

この本の読み方は様々あるだろうが、
私から見て後書きを書くために本文で論証してきたように思えるため
後書きだけ引用する。

 

 

哲学の道に迷い込んだときから目標はただ一つであった。
それは堅固にそびえ立っているかのように見える
「客観的世界」を解体することであった。
時間も空間も物体も因果律
「私」も、精巧にできた捏造物ではないのか?
それらを、哲学的言語を習得することによって、
独特の仕方で解体すること

せめて揺さぶりをかけることができるのではないか?
そういう予感はしていたが、
それは予想をはるかに超えて難しいことであり、
予想をはるかに超えて長い道のりであった。

 

(略)

 

一般的に言って、死ぬときに失うものは三つあると私は考えていた。

(1)、愛する人々と別れなければならないこと。
(2)、見ること、聞くこと、感じることがもはやできなくなること。
(3)、将来起こることをはじめ自然界・人間界に関する日々進捗する真理をもはや知りえないこと。

このうち(1)、(2)については、早くから見切りがついていた。

 

(略)

 

だが、(3)だけはなかなか諦めがつかなかった。
あと1万年生きていれば、私は(いま)知らない膨大な真理を知りえるであろう。
だから、できれば最後の人間が息を引き取る瞬間まで見ていたいと思った。
この欲望が完全に消えたわけではないが、ふっとわれに返れば
人類消滅までの悲惨な出来事のすべてを知ったとしても、何であろう?
それから死ぬのといま死ぬのとの違いは何であろう?ほとんどないのである。
人間が宇宙から消え果てるとき、何も「あと」には残らない。
宇宙は絶えず消えゆくだけなのであって、全人類史もあたかも「あった」かのように思われる言語的構成物にすぎない。
私が死んだ「のち」一三八億年におよぶ客観的世界が広がっているのではないように、最後の人類の一人が死んだ後に、一三八億年におよぶ客観的世界が広がっているわけではないのだ。
私は(いま)死ぬとしても一〇年後に死ぬとしても、一万年後に死ぬとしても一億年後に死ぬとしても、たいした違いはない。
なぜなら、そのとき、それまでの世界はすべてあとかたもなく消滅してしまっているのだから。
というわけで、死んだ「あと」に私が失うものは何もないことがわかった(いま)、この実感に基づいて本書をまとめた次第である。 

 

現在、先生は執筆なさっているが、
私から見て「明るいニヒリズム」が一つの結論となっており
その結論を補強・完成させるべく執筆なさっているように思えたため
「明るいニヒリズム」が主著ではないかと私は思っている。

 

私は、前述の(3)には興味がないため
先生の学説そのものに影響を受けたというよりも
生の哲学者としての生き方に影響を受けた。

 

私も先生のように
哲学をするためだけのために生きたいと思っている。

 

おまえのやっていることは「哲学」ではない。
そういうご批判もあるだろうが、「哲学」でなくても全く構わない。

 

私は自分の問題を考えるために哲学をしたいだけだ。

私は(3)ではなく(1)を採りたいと思っている。

 

瞬間を感じる永遠を思うこと。
永遠を感じる瞬間を生きること。
永遠を哲学すること。

 

そこにすべての人生を賭けるつもりである。