77のブログ

aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【仕事】   天職

 

過去の記事を読んでみた。

 

2017/06/23 いま、考えていること。 - 77のブログ

 

 

若い頃、職業選択において
自分の実存をかけて悩みましたが、
現在、そういった悩みを
悩まなくなりました。

 

・人生の6割は労働だ。
・労働を充実させれば人生は充実する
・好きなことを仕事にしよう。

 

以前も書きましたが、
当時まで私の中には
「天職」という観念が残っていました。

 

「教師」という生き方を選ぶ
「弁護士」という生き方を選ぶ
「音楽家」という生き方を選ぶ

 

当時の私にとって
「職業」とは生き方でした、
共同体の中で生きられるべき方法でした。

 

どういう仕事に就くべきか、
それはどう生きるべきかと直結した
悩みとして私の中に燻ってました。

 

共同体と個人の生き方が
ピッタリと重なった時代でした。

 

それを私はモダンと呼びます。

 

社会の幸福と
個人の幸福が
ピッタリと重なっていました。

 

しかし、
現在の私の中には
既にそういった観念はありません。

 

共同体とは
「俺が偉いんだっ!」を
やるだけの政治の舞台でしかない。

 

そう思ってから
私にとっては共同体とは
カネでしかなくなったのです。

 

・労働とは政治である
・カネさえあれば労働する必要はない。
・カネを稼いで好きなことをやろう

 

今の私にとって
共同体と生き方が
完璧に切り離されてます。

 

社会の幸福と
個人の幸福が切り離されています。

 

「天職」という観念はもはやありません。

 

労働することが
好きなことになることは
絶対にあり得ません。

 

さっさと
お金を稼げるだけ稼いで
隠居したいと本心は思ってます。

 

隠居したら何がしたいか。

 

私は哲学がしたいと思ってます。

 

それだけが
私の人生における心残りです。

 

これが現在の私の労働観である。

 

「天職」という観念自体、もう私の中にはない。

 

この「天職」という観念を

昨夜考えていたところ、カントの「最高善」を思い出した。

 

 カントは実践理性批判において

以下の「最高善」に関する議論をしている。

 

 

実践理性批判 (岩波文庫)

実践理性批判 (岩波文庫)

 

 

幸福と道徳は両立するか?

 

・各人が幸福を追求する結果、道徳が実現されるか

・各人が道徳を追求する結果、幸福が実現されるか

 

前者に関して、

カントは絶対に実現しないと断言している。

 

カントは

「単なる理性の限界内における宗教」において

自らの幸福を、道徳に優先させる人間の自然な傾向を

「根源悪」として糾弾しているように、

人間の原罪を認めている。

 

【哲学】 盗まれたメモ① - 77のブログ

 

私も原罪を認めるし、

原罪がなくならなくてよいと思っている。

 

そうである以上、

私も前者が実現されるとは思えない。

 

後者に関しても、

カントは絶対に実現しないと断言している。

 

但し、この世においては。

 

あの世において、

カントはそれが実現すると述べている。

 

私にはこの点についてわからない。

 

このように、

キリスト教の伝統のある社会においては

「最高善」はこの世において実現され難いものであると

思われている。

 

この議論を読んでみて、

「天職」という観念に思い巡った。

 

「天職」とは

他者に貢献することそのものが

自らの幸福に直結する仕事と定義する。

 

簡単に書くと、

他者の喜びと自己の喜びが重なる仕事と

言えるだろう。

 

こういった仕事に

出会える人はおそらくいないはず。

 

なぜか?

 

他者と自己の間に

第三者が必ず介入するからである。

 

三角関係は

社会のどこにでもある。

 

言葉を使う以上、

この世は相対的な世の中である。

 

「よい」という判断には必ず比較が伴う。

 

「どうもありがとう」

 

この言葉を発した瞬間、

行為してくれた他者と行為してくれなかった他者の

選別が行われる。

 

誰かが喜ぶとき、誰かが悲しんでいる。

 

どこまでも相対的な、

三角関係に絡めとられた世界を生きる以上、

原罪は不可避であり、「最高善」はあり得ないだろう。

 

しかし、

それに触れられるのではないかという

淡い期待だけはまだ残っている。

 

昨夜、徳善義和さんの「マルティン・ルター」を読んだ。

 

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

 

 

これほど誰にでも読めて、

ルターの本質が描かれた優れた本はない。

 

岩波新書で、最も好きな本かもしれない。

 

上昇志向の強い家庭に生まれたルターが

世俗を離れた神学者に転向し、カトリック教会と反発し、

宗教改革を起こすまでをルターの内面に沿って

誰にでもわかる言葉で書かれた本である。

 

聖書を読むと、よくわかるが、

神の命令に従うことが至上命題であると書かれている。

 

「隣人を、自分のように愛せよ」

 

この黄金律を実践するための掟がたくさん書かれている。

 

ルターはその厳しい掟を実践できず、自己を憎むとともに

その厳しい掟を実践することで、自己を義認する自己を憎み、

そして、いつしか神を憎んでいた。

 

何かを求めることで、

求められないもどかしさを憎んでいた。

 

しかし、パウロが書いた

「ローマ人への手紙」(ローマ書)を読んで

目から鱗が落ちた。

 

何も求められない

自分の罪悪を認めると同時に、

キリストから既に罪が赦されていることに気づき、

福音を理解した。

 

行為と信仰は関係がない。

 

愛とは罪を赦されることである。

 

その後、免罪符の発行により

カトリック教会が聖書と無関係にカネによって

民衆の罪を赦す体制に戦いを挑み、宗教改革が実現される。

 

私の人生の書は

「ローマ人への手紙」である。

 

 

独りで苦しみ、

誰も助けてくれないとき、

私の傍にいてくれた人がいる。

 

「あなたは既に赦されている」と。

 

いつしかそこに実存を築いている自分がいた。

 

そこに「最高善」があるのだろう。