77のブログ

aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【哲学】   瞬間と永遠

 

私の手元に

これまで磨いてきた3つの概念がある

 

【哲学】 3つの概念 - 77のブログ

 

・パレーシア

 

偶像崇拝の禁止

 

・政治的なもの

 

これに加えて

永劫回帰」も磨いてきた

概念の一つである。

 

永劫回帰とは何か

 

ニーチェの「喜ばしき知恵」から引用する

 

もしある日、またはある夜、

 

 

デーモンが君のお前のあとを追い、

 

お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、

次のように語ったらどうだろう。 

 

「お前は、お前が現に生き、

既に生きてきたこの生をもう一度、

また無数回におよんで生きなければならないだろう。

 

そこには何も新しいものはなく、

あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、

あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく

小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。

 

しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、

樹々のあいだのこの月光も同様であり、

この瞬間と私自身も同様である。

 

存在の永遠の砂時計は

くりかえしくりかえし回転させられる。

 

―そしてこの砂時計とともに、

砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」 

 

―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、

そう語ったデーモンを呪わないだろうか?

 

それともお前は、このデーモンにたいして、

「お前は神だ、私はこれより

神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と

答えるようなとほうもない瞬間を

以前経験したことがあるのか。 

 

もしあの思想がお前を支配するようになれば、

現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。

 

万事につけて「お前はこのことを

もう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う

問いは、最大の重しとなって、

お前の行為のうえにかかってくるだろう!

 

あるいは、この最後の永遠の確認と

封印以上のなにものも要求しないためには、

お前はお前自身と生とに

どれほど好意をよせなければならないことだろう?

 

 

 

喜ばしき知恵 (河出文庫)

喜ばしき知恵 (河出文庫)

 

 

一般にキリスト教

現世を諦め、来世に期待を寄せる思想を批判し、

来世を諦め、現世を肯定する思想を打ち出したと

言われるが、これは現世・来世といった区分だけでなく

時間についても言えるだろう。

 

現在を諦め、未来に期待を寄せる思想を批判し、

未来を諦め、現世を肯定する思想を打ち出したと。

 

 

これは「瞬間と永遠」の問題である。

 

そして、

一般にニーチェの先駆者として

ライプニッツの可能世界論の類似性が

アガンベンなどによって指摘されている。

 

ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上

ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上

 

 

以下に若干の修正を加えて要約を引用する。

 

「自分はローマへ向かい、
 ルクレチアを陵辱して追放される」という
悲惨な運命を知ったセクストゥスは

ユピテルのもとへおもむく。

 

ユピテルはセクストゥスに
「ローマを棄てるのであれば

別の運命を与えよう」と答える。

 

この犠牲を払おうという

気になれなかったセクストゥスは

ユピテルのもとを後にして

自分の運命にまかせてしまう。

 

この対話に立ち会っていた

供犠者テオドロスは、運命の秘密を知るために

ユピテルの娘パラスのもとへとおもむく。

 

女神パラスの神殿で

テオドロスは壮大な夢をみる。

 

それは運命の宮殿の姿であった。

 

ユピテルのつくった

現実のこの最善の世界のほかに、
その気になればつくり出せた世界も

この宮殿にはある。

 

しかし、

ひとつでも起こることが異なったならば

この世界はべつの世界になるのだとパラスは語る。

 

世界の出来事が

ひとつだけでも異なれば
世界がまるごと異なった世界になる以上、
可能な世界は無数にある。

 

パラスはテオドロスを

宮殿のひとつの部屋へと導く。

 

そこはひとつの世界であった。

 

この世界のセクストゥスは
ユピテルの宮殿からローマではなく

コリントスへ向かっている。
ここでは彼は恵まれた生涯を送る。

 

べつの部屋のセクストゥスは

トラキアで王になっている。

 

これらおびただしい部屋は
全体でピラミッドをなしており
その頂点にある部屋はもっとも美しい。

 

頂点ははっきりとあるが、底面はない。
下へ向かって無限に増大しているからである。
頂上の部屋ほど完全な部屋はない。
下へいくほどに完全性を欠いてゆく。

 

この頂上の部屋が

現実のこの世界であると女神はいう。

 

この世界のセクストゥスは
コリントスへ行って幸せになることもなく
トラキアの王になることもなく

ルクレチアを陵辱して追放される。

 

それでも

全体としては
これが最善の世界であることを
ユピテルの知は教えたので、この世界がつくられたのである。

 

http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/5323/s/3144/

 

ニーチェ永劫回帰と瓜二つであり、

可能な世界の中で現実化している現実が最も最善であることを

語っている。

 

「瞬間と永遠が等値である」ことを

言葉にする上で、この2つの思想にはずっとひっかかってきた。

 

そして、たまにであるが、

私が考える問題意識を共有している本である

柄谷行人の「探究」を読むことがある。

 

【仕事】 やるべきこと - 77のブログ

 

その中で、

クリプキの固有名詞の議論を書いていたが、

まさにこれまでの話と繋がってくることがわかった。

 

ラッセルは固有名詞は

確定記述に置き換えられる以上、

固有名詞の特異性を消し去りたいのに対して

クリプキは可能世界論によって、それが不可能であることを

示す。

 

※確定記述とは夏目漱石

 「“吾輩は猫である”を書いた小説家」ということである。

 

例えば、

夏目漱石が作家でなかった場合を想定する。(可能世界)

固有名詞を使えば、「夏目漱石は作家ではなかった」ということが

できるが、確定記述のみによれば

「“吾輩は猫である”を書いた小説家は小説を書かなかった」と言う

ことになり、論理矛盾に陥ることになる。

 

屁理屈のような話であるが、

以上の議論から、固有名詞には「他ならぬもの」という

単独性に連なるものがあることを柄谷は論じている。

 

「探究Ⅱ」にこの話はあるが、

これをより敷衍されたものとして講演集が出ている。

こちらのほうがわかりやすいかもしれない。

 

 

このようにずーっと

「瞬間と永遠」の問題にひっかかってきた。

 

哲学をやる前からひっかかってきた。

高校生の頃、クロノクロスをやっていた時からひっかかってきた。

 

クロノ・クロス PS one Books

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たまにこういった閃きに出会えるが、

私の力を超えているように思うことがあるため

この議論は当面の間、放置しておく。

 

柄谷行人の「探究」は

たまに読み返すことがあり、私がこれまで考えてきた問題に

最もリンクする部分があるのだが、

どうも表面的な共鳴のみであって、深いレベルで共鳴することはない。

 

おそらく柄谷行人とは

私にとってそういう人であるように思える。

 

そして、

柄谷行人の「探究」を読めば読むほど

レヴィナスの重要性が非常によくわかる。

 

当面の間、

レヴィナスの「全体性と無限」を

精読していきたい。

 

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

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全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

 

 

この本は名著である。