77のブログ

aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【音楽】   Dead chain in tokyo

 

久しぶりに

ライブに行ってきた。

 

一人で行ってきた。

 

15年ぶりに

Reality Crisisを見てきた。

 

このバンドを

見るためだけのために

行ってきた。

 

Not bound by the past,We live in the present

Not bound by the past,We live in the present

 

 

このバンドを見たのは

今回含めて3回だと思う。

 

1回目は

C.F.D.Lの1夜限りの復活ライブ。(愛知)

 

2回目は

V.A.狂イ咲ケのレコ発(東京)。

 

3回目が

今回のDEAD CHAIN in TOKYO。

 

パンクと離れてから

日が経っているため、誰も知ってる人がいない中

バンドTシャツ一枚も持っていない状態で

ライブに行ってきた。

 

初めてパンクのライブを見たのは

地元にORdERがBollocksと回ってた時だった。

 

当時、高校生であり、

モヒカンの怖いお兄さん達に紛れて

遠くの方で一人で見ていたのを思い出す。

 

そんなことを思い出させる

雰囲気の中、ライブに行ってきた。

 

懐かしい記憶だ。

 

私がパンクと出会ったのは

高校生の頃だった。

 

高校2年の頃にAir Jamブームが起こった。

 

私の友人達は

皆、Hi-standardを聞き、

コピーバンドをいろいろとやってたが

私は彼らに負けまいと背伸びをして

Nofxを聴いていた。

 

もっとこのバンドを知りたい。

 

そう思って、

当時インターネットをやっていたため

Nofx掲示板で情報交換していた。

 

KMADさんという方が

運営していた掲示板であった。

 

そこで、

「パンクとは何か」といった

パンク精神論が様々な方たちによって

書かれていた。

 

その精神論に触れて、

こんなにカッコいい考えを

もった人々がいるのかと思って

議論を深めつつ、パンク音楽を知っていった。

 

そして、

なぜかはわからないけれども

その掲示板にToecutterさんという方がいた。

 

この方はたいへん博学な方で

実践的なパンク論を展開していて、

現場のパンクシーンについても相当精通していた。

 

たいへん優しいことに

何も知らない糞ガキに対して惜しげもなく

いろんなことを教えてくださった。

 

実は

このToecutterさんとは

パンクシーンの方ならば誰でも知る

E.A.S.T pece RECORDの首藤さんであった。

 

この方に薦められて

Orderとbollocksのライブに行ったのが

私のパンクライブデビューだ。

 

とても懐かしい話だ。

 

 

そんなパンクと

出会いもすれば、別れもした。

 

 

【音楽】 ブート論争①~パンク・クラスト - 77のブログ

【音楽】 ブート論争②~THA BLUE HERB - 77のブログ

 

 

ありとあらゆる持論をもって

パンクと闘った。

 

今にして思えば、

私は血塗れだった。

 

なぜなら、

私の根底を支えたパンクを

削るために必死だったから。

 

相手と闘うと共に

自分とも徹底的に闘っていた。

 

そこから

私の根底に何もないことに気づき

手探りで哲学にしがみ付いた。

 

【音楽】 Cocco / Heaven′s hell - 77のブログ

 

10年ほど哲学書を読んでたかもしれない。

仕事をしていない時はずっと本を読んで勉強していた。

 

私の根底を支える何かを探すため。

パンクにとって代わる何かを探すため。

 

そうやって、

やっとの思いで探し出した精神がある。

 

【音楽】 THA BLUE HERB / THA GREAT ADVENTURE - MIXED BY DJ DYE - 77のブログ

【仕事】 10年前の自分に薦める一冊 - 77のブログ

 

「パレーシア」の精神である。

 

 真実 vs  権力

 

「真実は

 真実であるために

 真実は求められるべきである」

 

パンクを捨てるために

哲学を徹底的に突き詰めた結果 

あらわれたパンク精神。

 

これが私が

ずっと惹かれていたものであった。

 

パンクを捨てるために

パンクの上位概念であるロックに影響を与えた

ビート文学の元祖ジャックケルアックの「路上」など

読んではみたけれども、私にとっては

本当にどうでもいい本に過ぎなかった。

 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

 

 

 当時憧れていた

BOSS THE MCが読んでいた本に過ぎない。

 

結局、私はパンクを捨てられなかったのだろう。

 

そんなことに最近気づくと共に

私がかつて触れてきたパンクを見直すようになった。

 

その一環として行ってきたのが

今回のDead chain in tokyoだった。

 

ここから15年ぶりにライブレポートを書く。

 

メンツは以下のとおり。

 

REALITY CRISIS / HAWAIIAN6 / locofrank /
XERO FICTION / DEMOLITION / 九狼吽 /
MEANING / SYSTEMATIC DEATH

 

名古屋パンク+メロコアといった形で

かなり異色のライブであった。

 

私はReality crisis以外

見るつもりはなかったため

Reality crisisだけ見て、帰宅した。

 

当日券4,000円、

新幹線代、8,000円。

 

Reality crisisだけ見るために

12,000円払ったが、それでも私にとっては

価値のあるライブであった。

 

私は現在のパンクシーンを

まったく知らなかったが、100人弱集まってみてたが

20代後半が6割、30代が3、4割くらいだった。

 

私は35歳であるため後者に位置するが、

初め若い人だけだったらどうしようかと不安に思ったが

そんな不安はなかった。

 

また、意外なことに

普通の格好をした女性のお客さんが

チラホラいた。

 

最前列に陣取って

ギターの真太郎さんに黄色い声援を

送ってる人がいたことに驚いた。

 

客層はそういった形で、

実際にライブはというと、ほとんど暴れている人がいなかった。

 

 

演奏側も客側もお互いに遠慮した形で

ライブが行われていたように思える。

 

パンクのライブというよりも

ロックのライブといった方が適切な雰囲気の中

ライブは行われた。

 

実際、ライブはというと

バンド自体、相当キャリアのあるバンドである以上

演奏はとても安定していて、うまくなっていることは

よくわかった。

 

Stay Freeは

安定した、かっこ良さだった。

 

アンコールで

もう一回聴いてみたかった。

 

聴かせる音楽を

持ってきていることはよくわかった。

 

そして、私が

15年前にリアリティーを見てた時と比べると

皆、余裕をもってライブをしてるのがわかる。

 

昔のリアリティーといえば

ボーカルのダイスケさんが客と勝負するような形で

一滴の笑みも浮かべることなく、真剣に暴れまくってたが

今はといえば全然違く、時折笑みを浮かべながら

叫んでいた。

 

年を経ると、こうなるのだろうか。

 

昔、見たBattle of disarmの

浅田さんもそんな感じだったなと思い出した。

 

そんなことを感じながらライブを見てきた。

 

十分、共鳴することができた。

 

私の中にある「パレーシア」の精神。

 

これだけが

私を未だにパンクと繋ぎ合わせる

接点である。

 

私は戦争に反対する気はないし、

可能であれば、この国で内戦をする可能性を議論したいと

思っている。

 

私は世の中、

カネがすべてだと思っている。

カネの力によって

階級を飛び越える機会を常に狙っている。

 

私は日曜日にDIYなんてやる気がないし、

可能であれば誰かに頼んでやってもらう。

常にカネで時間を買う機会を狙っている。

 

パンクシーンに戻ることは

もうないけれども、この精神を持ち続ける限り

こうやって振り返ることはあるだろう。

 

私は所詮、通りすがりに過ぎないため

誰とも仲良くなることはなく、会話することなく

家に帰ったが、帰りの新幹線で過去の思い出が蘇ってきた。

 

当時、Nofx掲示板で

首藤さんと議論した末

私が出したパンクへの答えがあった。

 

「パンクとは思想に基づいた主張である」と。

 

今にして思うと、

何の答えにもならないけれども

Rage against the machine

killing in the nameを聴きながら

そう答えたことを覚えてる。

 

www.youtube.com

 

 

あれから20年近い歳月を経た。 

 

今の私ならば、こう答えるだろう。

 

「パンクとは、パレーシアである。」と。

 

【ご挨拶】 事件再始動に向けて - 77のブログ

 

 

我々のPUNKとは

自分自身の意識の中に存在する感覚であり、

思想、言語、行動、及び物質的な物、

全ては我々自身であるPUNKという感覚が作り出した産物である。

 

そして

このSCUM SYSTEM KILL EPも

例外で無く我々自身なのである。

 

今回歌詞を挿入しなかった理由は、

今まで我々の様なスタイルのバンドがとってきた方法論ではなく、

聴覚、視覚のみという限られた情報で

どれだけ感覚を集中させPUNKを感じ取れるかという

手段を選択した為である。

 

本来PUNKと言う物は

何も囚われない無秩序で自由な物であったはずなのだが、

現在は歌詞やスタイルによる

固定観念が形成されてしまい、それによって

自由であるべきPUNKを自らの手で

がんじがらめにしてしまうという悲惨な結果を

生み出してしまったのであった。

 

我々はそれを放棄する事により、

自由な発想と道を失ったPUNKの1つの突破口として

このEPをリリースする。

 

歌詞やスタイルの持つ

固定観念を排除した状態で

このEPを聴けば あなた自身のPUNKと

あなたが捕らえる我々のPUNKが

そこに見えてくるはずである。

 

それは人によっては

政治や戦争であったり

人間の持つ力強いエネルギーであったり 

単純にHARD CORE PUNKの持つ

速いビートであったり

内面的、外面的、精神的であったりと 

捕らえ方は様々であると思うが

それは全て間違いなく我々のPUNKであり

あなた自身のPUNKなのである。

 

そしてその1つ1つが

S.D.Sの意図する、しないとは関係なく

このEP自体が持つ問題提示(PUNK)なのである。

 

重要視すべき点は

歌詞でもサウンドでも思想でもなく

PUNKという存在なのである。

 

WHAT IS PUNK? THIS IS PUNK