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aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【読書】   読まない本を決めるために本を読む

私は本を読んできた。

 

司法試験の勉強をしていた際に

教材を一元化する習慣を身に付けたことによって

自分の人生を集約できるような本を探す形で

本を読んできた。

 

そのため、

大量の本を抱えて一度読んでは

「これは読む価値がない」と判断しては

捨てるような形で本を読んできた。

 

読まない本を決めるために本を読んできた。

 

この習慣があるため、

私の家の本棚には数冊程度の本しかない。

 

私は10年近く

年間1000冊程度の本読むことを

習慣付けてきたため、

1万冊近い本に目を通したように

思える。

 

若干、誇張もあるが

仕事、家族サービスの時間以外を

ほぼすべて読書に捧げてきた。

 

これだけ本を読んでも

まだまだ読み足りていないし、

私は日本語しかできなく、カネもないため

洋書に手を出すことができない。

 

そこが残念なことであるが、

仮に外国語ができて、カネもあったら

間違いなく洋書に手を出すだろう。

 

まだまだ読書欲は満たされないが、

これだけ本を読んできて自分の読書の特性が

掴めてきた気がする。

 

当たり前のことであるが、

自分が関心を持てない事柄に関する本というより

文字は読めない。

 

まったく読めない。

興味がない以上、時間の無駄にしか思えない。

どんなに優れた本でも読めない。

 

特に永井均さんの本はそんな本に当たる。

 

というわけで、

自分の関心を明確にすることが

私の読書における一つの指針になる。

 

自分の関心を固めた後は

それに応えられる本を探すが、

その際の基準は消極的なものである。

 

読まない本に該当するか否かが

その基準になる。

 

一回読んで終わりにするか、

それとも繰り返し読む必要があるか。

 

仮に前者であったとしても私は後悔しない。

その本は読む価値がないと判断できたという収穫があったのだから。

 

この基準は

繰り返し読む必要があると判断した本においても

再び当てはめて使っており、

常に自分の家の本棚に置いておく価値がある本か否か

吟味している。

 

そうやって吟味されながら

まだ迷いの中、手元に残っている本は20冊程度になるが、

私が死ぬまでに1冊に絞り込みたいと思っている。

 

いつになるかわからないが、

その時まで墓場まで持ってくか価値があるか

吟味したい。

 

人生に必要なのは

たった一冊で充分であるはずだ。