77のブログ

aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【仕事】   読書法

私はこれまで本を読んできたが、
なぜ読んできたかと言えばお金が欲しいからではなく
精神的危機から本を読んできた。

 

【ご挨拶】 祝 10,000 アクセス - 77のブログ

 

以前書いたが、
若い頃、カウンターカルチャーにハマったが
大人になるつれてほぼすべて間違っていたことに気付き
それを捨て去ると同時に、私を支えるものが何もなくなってしまった。


そこで、本をひたすら読み続けてきた。

 

主に哲学書がメインであるが、
以下に方法論を示すと同時に私が重要だと思ったことを
示す。

 

・全体を俯瞰する

 

私は哲学科を卒業しているが、
学部時代に司法試験の勉強しかしてこなかったため
単位を取るのに必要最低限度の勉強しかしたことがなかった。

 

卒論までに哲学書をほぼ一切読んだことはなかったため
高校倫理の教科書的なことしか知らない程度であった。

 

そんな私が卒論において
ウィトゲンシュタイン論理哲学論考を扱うことになって
たいへんながら入門書・研究書を読みながら、なんとか論として成り立たせた。

 

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

 

指導教授であった小島雅春先生のおかげであるが、
それによって哲学書を理解するということがどういうことか
手応えを感じた。

 

そして、
先述した試験勉強の方法も使えるということに気づき、
さらに手応えを感じた。

 

今後の人生で何もやることがなかったため
カウンターカルチャーを葬り去った際にできた精神的欠如を満たすために
哲学書を読もうと決意した。

 

まず、教科書や入門書を読むことを通じて
哲学という科目全体を理解することに力を入れた。

 

思想通史的な本をメインに据え、
わからないところはわからないまま進めていった。

 

その後、ブックガイドを参考にしながら
興味のある思想的な内容を語っている哲学者の著作に挑んでいった。

 

http://seesaawiki.jp/bookguide/d/%a5%d6%a5%c3%a5%af%a5%ac%a5%a4%a5%c9%a4%ce%cc%dc%bc%a1

 

特に必読書150は、最も参考にした。 

必読書150

必読書150

 

 

・哲学書に挑む

 

実際に何も専門的知識なく
哲学書を素人が読んだとしても何もわからない。

 

それは当然である。

 

まず、この事実を受け入れることから始める。

 

当時も今もそう思っているが、
哲学書とは、偉大な哲学者が過去の偉大な哲学者の業績、
現在の偉大な同業者の哲学者に対して自説を示すために書いてある本である。

 

素人が
これまでの経験から得られた言葉だけを武器に
哲学書を読もうとしても何も理解できるものではない。

 

これは当たり前の事実である。

 

そうであるならば、
あっさりと白旗を上げて潔く解説書から入るべき。

 

新書にて哲学研究者が
偉大な哲学者の哲学紹介・解説をしている本を中心に
その哲学者の思想の全体像を理解することを優先する。

 

その後、

哲学書を実際に読んでみることになるが
おそらくそれでも哲学書は読めないはず。

 

哲学者は
先人の業績を参照しながら書いている場合がほとんどである以上
それを知らない人にとってはほとんどわからない。

 

次に哲学研究書を中心に読むことになる。

 

実は大学の哲学科というものを知らない方は
わからないだろうが、ここではひたすら過去の哲学者が何を言ったかを
研究することがメイン。

 

結局、日本の哲学を専門にする大学教授ですら
偉大な哲学者が何を言ったのかについて解釈が分かれることがたくさんある。

 

というわけで、
哲学者が参照する業績、哲学書の解釈、
こういったすべてを手に入れるためにも
哲学書ではなく、哲学研究書を読む必要が出てくる。

 

これができたら
最後に実際の哲学書を読みながら、自分の頭で考えながら
読むことになる。

 

あくまで人生において何が得られるかを中心に
本は読まれるべきである以上、可能な限り、楽をするべきであると私は思う。

 

・関心のある問題に出会う

 

こういった方法を続けると
かなりの量の本を読むといった多読型になるが、
こういった方法を通じて、各々の課題に出会うことが大切であると
思った。

 

おそらく哲学書を読まれる方は
何らかの人生における問題を持っている方が多いと思う。

 

哲学書に触れ始めた時の人生の問題を持ち続け、
そういった問題を解くカギになる哲学上の問題にぶつかることが
大切ではないかと私は思っている。

 

こういう読書を続けていると、
生きていく上で言葉にできない問題と
哲学者が実際に考えていた問題がリンクする瞬間が来る。

 

その時までひたすら待ち続ける。

 

私は10年かかった。

 

しかし、この営みを続けることは

経済的な損失であったかもしれないが、
それ以上に本当にいい営みであったと思う。

 

・やはり古典を丁寧に読むべき

 

以上のような哲学書を若干軽視するような
哲学書の読み方を続けてきて、いや続けてきたから思うことは
偉大な哲学書を丁寧に読むことが大切だということ。

 

哲学書や名著といったものは
時代を切り開いてきただけの価値がある。

 

凄まじい価値があり、その他の本は
そういった名著から線を一本引っ張っただけの本であることが多い。

 

可能な限り、古典をモノにすれば
その他の本をすべてモノにできると言っても過言ではない。

 

そういった実感がある以上、
名著といったものに可能な限り、時間をかけて丁寧に読むことが
大切である。

 

たくさん本を読むことは重要である。
しかし、それはあくまで名著を読むためである。

 

「名著にはこういったことが書かれてるが、
それは本当だろうか、それ以外に可能性はないか」など
自分の考え、経験に照らして名著の言葉を一つ一つモノにしていくことが
本当に大切であると身に沁みている。

 

以上のような形で私は主に哲学書を読んできた。

 

・現在、自分の問題を考えるためだけに本を読んでいる。


現在は、

偉人伝を読むように本を読んでいるわけではなく、

自分の問題を考えるのに役に立たせるために
哲学者が何を語ってきたかを中心に本を読んでいる。

 

本を全部読むことはあまりなく、
哲学者が提示した概念を中心に考えながら読んでいる。