77のブログ

aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【まとめ】   まとめ②

 

7、犯罪被害


①、no music no life(笑)

 

彼らがアクセス追跡をしていることを知っていた。
また、彼らがアンダーグラウンドミュージックに携わる人間であると
思っていたため、googleの検索欄をメッセージBOXに見立てて
以下のメッセージを入力した。

 

「音楽が世界を変える?
  ミュージシャンが全世界を支配しようとしてる!?
  たかがミュージシャンに支配されるくらいなら
  自民党に支配された方がマシだ!
  No music No life (笑)」

 

語弊があるため、若干訂正すると
私はミュージシャンすべてに対して
上述の意見を述べたわけでなく、
カウンターカルチャーに対して上述の意見を述べた。

 

尊敬すべき
ミュージシャンは世の中にはたくさんいる。

 

この発言をしたところ、波紋があった。
 
まず「ニュー速」にスレができた。
「なぜミュージシャンは偉いんだ」といったスレッドだった。


その中でとても印象的なコメントがあった。

 

「ミュージシャンの政治的発言は
 たまに来る親戚のおじさんの説教みたいだ。」

 

そして、それを受けて
Ken Yokoyama(ハイスタ)が
Twitterで以下のコメントを発した。

 

「パン屋がパンのこと以外
 話してはいけない理由はないんだから
 ミュージシャンが政治について話してもいいだろう」

 

挙句の果てに
私の盗聴盗撮された意見が
タワーレコードに到達して
最近のキャッチコピーが以下のようになった。

 

「no music no life」→「no music no life ?」

 

そして、さらにこの盗聴効果は続く

 

この発言がされた後に以下の本が出版された。 

 

 

 

斉藤環さん自身、
間違いなく私の盗聴盗撮ブログを見たことがあるが、
注目してもらいたいのは「村上隆」さんとの対談。

 

間違いなく私の発言を受けて、
芸能に携わる人間が世の中を変革するなんて
恐れ多いことだと意識高い系ミュージシャンの思い上がりを
戒めている。

 

また、「no muis no life(笑)」の発言がなされた当初において
大分前のアメトークで、ケンドーコバヤシサバンナ高橋が出ていた回で
ケンドーコバヤシが「ノーパンツノーライフ」と言ったり、
サバンナ高橋が私の嫌いな発泡酒を擁護するコメントを言ったりしていた。
あの回はすべて私の思想批判に費やされている。

 

また、当時ミュージシャンの社会参加が大嫌いだっため
ミュージシャンに対して「たかが」と付けて馬鹿にしていた。

 

なお、ここで言う
「たかが」という言葉は私が広めた言葉であるが
元ネタは私の尊敬する読売新聞社ナベツネ氏である。

 

そして、当時西川女医も
よく私の盗聴効果をネタに話をしていたが、
その際に「たかがラーメン」など
私の好きな「たかが」発言を多用していた。

 

また、上記の「No music No life(笑)」が相まって
斉藤孝は、「使う哲学」(確かこのタイトルの本)にて
以下のように書いている。

 

使う哲学 (ベスト新書)

使う哲学 (ベスト新書)

 

 

「No ルター No 民主主義」
「No カルヴァン No 資本主義」

 

これは明らかに私の盗聴結果を受けて書かれた文章である。

 

また、曽野綾子さんが
「たかがの精神」とよくお書きになっているが、
これも前述の盗聴を受けての話である。

 

人間の分際 (幻冬舎新書)

人間の分際 (幻冬舎新書)

 

 

また、橋下徹がSealdsに対して
「デモ行進で意思決定するより
 サザンのライブで意思決定する方がましだ」といった件についても
上記の「no music no life(笑)」を踏まえての発言に思える。

 

これは、「no music no life(笑)」と多少ズレるが
ロックを批判した後にずっと教養書を読んできたことを踏まえて
Googleの検索欄をメッセージBOXに見立てて、若い人にエールを送った。

 

「私は若い人の役に立ちたい。
 ロックは何の役にも立たなかった。
 だから、俺のように本を読み、人生観を鍛えろ。
 そして、俺のようになるな」。

 

以上の発言をを受けて「しくじり先生」が作られた。

 
②、工藤会脱税事件

 

【哲学】 盗まれたメモ① - 77のブログ

 

ライプニッツという
哲学者を引き合いに出して
「欲望が理性を基礎付けるのか」
「理性が欲望を基礎付けるのか」について
そもそも論を自宅でしたことがあった。

 

私は「欲望が理性を基礎付ける」という見解を支持し
「自分を肯定する限り、他者を肯定する」というのが
世俗の掟である以上、いかに言論をしたとしても
権力者が自分を肯定する言論しか呈示できない。

 

そうだとすれば
政治を変えるならば
武力行使に基づくべきだという話を
自宅で独り言をしていた。

 

それを踏まえて、最近の事件だったが、
私は以前から暴力団に対して警察が対応するのではなく
自衛隊が対応するべきではないかと思っていた。

 

すべてではないが、
被害の程度があまりにも警察が対応するには
大きすぎると思うことがあった。

 

また、
この国のたいへん不思議なところであるが
この国の最も最近生じた内戦は西南戦争である。
それ以来、この国では一度も内戦が起きていない。

 

そのため、
私は暴力団騒動がある度に
暴力団をテロリストと認定し
個別的自衛権を行使することを
検討してもよいのではないかと
室内でよく独り言していた。

 

すると、それが盗聴され公にされ
ヤフー掲示板等で「自衛隊を投入せよ!」という
書き込みをたくさん発見した。

 

そして、それが3人の論客の耳に入った。

 

 

この本において、宮台真司さんが
主知主義主意主義の違いを説明しながら
「理性が欲望を基礎付ける」のではなく
「欲望が理性を基礎付ける」という議論をしていた。

 

また、当時作家の平野啓一郎さんが
暴力団に対して自衛隊を出せば、イラクのようになる」など
Twitter又は文学界で話をしていた。

 

また、以下の本も出版された。

 

 

この本すべてが私の上述の意見に対する批判になっている。

 

しかし、不思議なことに
あくまでそれは初回だけであった。

 

初回とそれ以外では
まったく異なった編集となっており、
書籍そのものがとても落ち着いた様子になっている。

 

自分の錯覚ではないかと疑ったが、どうもそうではなかった。

 

なお、上記の本のように
初版において盗聴ネタを盛り込み、
それ以後においてはそれを消してしまうという類例がある。

 

世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析

世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析

 

 

「ヤンキーは業績よりも生き方を取る」
「(他人もしているから自分もする)
 こういうところラカニアンなら他者の欲望を読み取らなきゃ」

といった記述が初版であったが、消えていた。

 

ちなみに「他人もしているから自分もする」といった記述であるが
これは私が携帯電話で「老人に席を譲るべきか」について
(はい)(いいえ)の理由付けを列挙していた情報を
ハッキングされて公になったものである。

  

これは余談であるが、
以前、宗教を徹底的に擁護していた中で
斎藤環さんがよく私に絡んできたこともあって
「私の守護霊を精神分析してくれ!」とGoogleの検索スペースを
メッセージ欄に見立てて書いたことがあった。

 

それが盗まれ、公にされ
その返答として以下のメッセージをいただいた。

 

twitter.com

 

また、上述の私の議論を踏まえて
ロンドンブーツ1号2号の田村淳が
フジテレビの「FNS27時間テレビ2015」に出演して
以下のような発言をしている。

 

「めちゃいけメンバーが動かないなら僕が動きます。
 彼は犯罪者でもなんでもありません。危険思想家でもない。
 公共の電波に出てもいい人なんです。
 僕だって問題起こしてもこうやって出ています。
 あの人の声に耳を傾けていいんです。
 もういいかげん、あの人を避けるのをやめましょう」

 

ここに言う「危険思想家」とは私のことである。

 

田村淳さんはよく私の盗聴ネタをいじっていたが、
この事件を境に一切私に対して触れなくなった。

 

また、上述の意見とは別のところで、
ビートたけしも私の存在をネタにしていた時期もあった。

 

例えば、テレビタックルにおいて
「宇宙人が来れば戦争が防げる」といった発言。

 

これは確か知恵袋で書いた話である。

 

敵の敵は味方になり得るのであれば
人類の敵を作り上げることで、人類を
戦争から守れるのではないかと書いた話である。

 

あの話が盗まれ、公にされ、このような形になった。

 

しかし、ある日を境に
ビートたけしは一切私に対して触れなくなった。

 

「情報7days ニュースキャスター」を私が見ていた時に
「たけしは暴力団のニュースに対して一切コメントしないのはおかしい」と
私が自宅でしゃべったことが傍受され、公にされた。

 

その結果、それをテレビ局側が受けて
暴力団のニュースが流れている時に何もしないビートたけし
カメラが真正面から捕らえ、その瞬間ビートたけしが驚いて
カメラに対して目を伏せた。

 

その一件があって以来
ビートたけしは私に対して一切触れなくなった。

 

また、武力行使を肯定する一環でこんな話をしていたことがあった。

 

以前、室内でメーカーに勤めることになった際に
「うちのメーカーは財閥の下請けだから、
これから戦争ビジネスが流行る以上、そういう仕事をしよう」と
話をしたところ、それが盗聴され以下の番組が制作された。


池上彰「なぜ世界から戦争がなくならないのか」という番組の主旨

 

③、原罪を虚栄心に求める

 

【哲学】 盗まれたメモ① - 77のブログ

【哲学】 盗まれたメモ③ - 77のブログ

 

専門的な話であるが
ニーチェルサンチマン批判は
パウロの律法主義批判の裏返しであることを発見した。

 

それを踏まえて
旧約聖書カインとアベルを下敷きにして
人類初めての殺人の原因を追求するような形で
人間の根源悪を虚栄心に求めるという主旨のメモを作っていた。

 

本来、カインは
神の喜びを喜ぶべきであるにもかかわらず
神の喜びではなく、神から自分が選ばれなかった悲しみを
感じたところに人間の原罪を見ていた。

 

それをワードで文章作成したが
それがハッキングされ公にされ、悔しい思いをした。

 

あれは、PCでWebをしていた際に
ウィルスバスターを起動させてた時には
一度もハッキングされなかった。

 

しかし、当時iphone4が発売されて
Au端末のみテザリングができると言われた時期に
私がそれに飛びついてAuのiphone4とPCを接続して
テザリングしながらWebをしていた時にハッキングされてしまった。

 

このようにセキュリティーの強弱によって
彼らもハッキングの成功・失敗が変わるということがわかった。

 

つまり、彼らは超能力者でも何でもないのである。

 

この盗まれたメモを根拠に
虚栄心を根拠とした売名行為を徹底的に叩いていた。

 

それが盗聴され、バイトテロとして
マスコミ等で洗浄機に挟まる若者などが
批判されるようになった。

 

それがバイトテロを経て
Stap細胞、佐村河内騒動を経て
ショーンKまで至る思潮を生み出した。

 

片田珠美の
「他人を攻撃せずにはいられない」いう本の元ネタは
私の盗まれたメモである。

 

他人を攻撃せずにはいられない人 (PHP新書)

他人を攻撃せずにはいられない人 (PHP新書)

 

 

また、「スカっとジャパン」などもあの一例。

 

そして、その一環で
誉と恥の体系からなる文化の一例たる武士道を批判したことがあった。

 

「武士は食わねど虚栄心」など。

 

こういった発言が
一時期クイズ番組などで
取り上げられたこともあった。

 

その過程で、私を
よく買ってくださったのは佐藤優さんであった。

 

「人に強くなる極意」は
私のおかげで売れたのではないかと思っている。

 

 

また、この盗まれたメモは
文壇だけではなく、音楽業界にも飛び火した。

 

Rolling Stones誌のセックスピストルズの特集記事があった。

 

あの記事において
ジョニーロットンは自らの優越性を提示するために
行為したのではなく、みんなの喜びを求めて行為した
というような記事があった。

 

あの元ネタは
私のPCに保存されていたメモである。

 

また、このメモは他にも飛び火した。
映画監督の宮崎駿さんの安倍晋三憲法改正批判である。

 

(映画監督の宮崎駿さんは2015年7月13日、
 安倍首相の政治姿勢について
 「『憲法の解釈を変えた偉大な男』として
 歴史に名を残したいと思っているのでしょうが、愚劣なことだ」
 と厳しく批判した。)

 

http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/13/miyazaki-hayao-vs-abe_n_7789934.html

 

重複となるが、
当時、世俗とは虚栄心を満たすだけの
政治の舞台でしかないということから
虚栄心の匂いのするのものを徹底的に糾弾していた。

 

その一環として
武士道批判などもあって、
それに付随する形で「歴史に名を残す」という
生き方を糾弾していた。

 

それが傍受されて
上記の発言に繋がったように思っていた。

 

また、これに付随する話であるが、
日本人のイスラム国入国報道が当時出ていた。

 

その時の日本の若い人が逮捕された際の
発言は私の言い回しも主旨もそっくりであった。

 

また、「糞ガキの告白」という映画があるが、
あの映画は私のロック批判、虚栄心批判を元に作られたと感じている。

 

くそガキの告白 [DVD]

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何をやっても駄目だけれど
プライドだけは高い糞ガキが
自分の不成功をすべて社会のせいにして
近隣をめちゃめちゃにするっていう話。

 

上述のメモとアクセスを追跡されていた際に、
GOOGLEの検索ワード入力スペースを
犯人へのメッセージスペースに見立てて、
以下のように犯人を罵倒していた言葉を傍受した結果が
そのまま映画に反映されている。

 

「おまえらは
 社会の屑ではなく社会の雑魚だ。」
 「議論に勝てないからって、
  不満をもって、こんな嫌がらせするのは
  おかしいだろう」
 「おまえらは、
  社会に対して期待を持ち過ぎてる。
  だから、期待が適わないから
  すぐに不満を持ち、社会に害悪を
  撒き散らす。」
 「責任とは約束を守ることだ。
  誰もおまえの期待に適う約束を
  していない」
 「何でも他人に期待するのではなく、
  自らの希望を実現できない
  自分の無力さを後悔したらどうだ」
 「特に○○、おまえは
  初めて会った時から変なやつだなと
  思った。」
 「いつまでも大人になれずに
  大人になってからもゲーセンにいる
  子供達に混ざってるような奴だったな」

 
特に私はロックを聴くオッさんを
「いつまでも子供たちに混ざってゲーセンで遊んでいるオッさん」と
馬鹿にしていたが、それが一つのシーンとして
再現されていたことに驚いた。

 

また、上述のメモに関連することで
「意識高い系」という言葉があるが、あれも私の盗聴を受けて作れられた。

 

あれはメモが傍受される前の話で
今から7,8年前くらいであったと思う。

 

当時Mixiでレビューを書いていた。

 

当時、弁護士の荒井裕樹さんという方が
お書きになった「プロの論理力」という本に
影響を受けて弁護士を志すようになったが、
その中で仕事をなし得る条件として野心の高さを挙げていた。

 

【仕事】 荒井裕樹 - 77のブログ

 

それを受けて、Mixi上で
前例を踏襲するだけの金太郎飴なバンドではなく
1つのジャンルに固執するのではなく
自らを表現者として意識の高いバンドを作ってほしいという
話を書いた。

 

それが盗まれて、公にされ
このような「意識高い系」という言葉が生まれた。

 

この言葉は最近いろんなところで見かける。

 

私が知る限りでは
三宅洋平というミュージシャンがいる。
この人が日本音楽有意識者会議とか述べてるが
あれは私の受け売りである。

 

また、一度目の立候補時に
暴力団を擁護する演説をしていたが
あれは私が暴力団を嫌ったことに対する発言である。


④、感情とは欲望の現象である

 

【哲学】 盗まれたメモ② - 77のブログ

 

スピノザの「エチカ」という本を読んでいた時に
思いついたことであるが、それを以前Yahoo知恵袋に書いた。

 

ちゃんと書いたものは消されたが、
その痕跡が残ってるため、以下に示す。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1098986525


 
感情とは欲望の表れである。

 

欲望:自分の思い通りにしたい
喜び:自分の思い通りになった
悲しみ:自分の思い通りにならなかった

 

この3種類で感情をすべて定義できる。

 

神は全知全能である。
神は自分の思い通りのこと以外できない以上
神は感情を持たない。

 

そして、「欲望は感情に先立つ」というテーゼを
サルトルの「実存は本質に先立つ」というテーゼをもじりながら
書いた。

 

この話が盗まれ、公にされた。

 

トマス・アクィナス 肯定の哲学

トマス・アクィナス 肯定の哲学

 

 

その影響はこの本に現れている。

 

また、ちくま新書から出ている
清水真木さんの「感情とは何か」という本にも影響が出ている。

 

私のもじって作ったテーゼもはっきりと紹介されている。

 

 
また、佐藤優さんも、上記の発言について
何らかの神学関連の書籍で触れておられたように思える。

 

また、
この「感情とは欲望の現れである」を使って
当時流行していた小池龍之介を批判していた。

 

小池龍之介が属するのは
明らかにテーラワーダ仏教であるが
この宗教の基本コンセプトは瞑想を通じて
欲望を小さくして、平穏な日々を生きようということ。

 

しかし、上述のテーゼに照らせば
欲望を除いたら、人間から何もなくなる以上、
瞑想するぐらいなら死んだ方がマシだと知恵袋で批判した。

 

すると、
それが盗まれ、公にされた。

 

「もう、怒らない」という本を
書いているにも関わらず、以下の本にて、
私に対する批判としてではなく
当時愛読していた南直哉さんに対する批判として
私をひどく怒っていた。

⑤、クレーマー批判

 

私は私企業と消費者の関係は
イーブンであるべきだと思っている。

 

コンビニでジュースを買ったら
店員さんに買った方もお礼を言うのは当然であると
思っている。

 

そういった考えから
以前松屋で食事をしていた時に
客が店員を掴まえて強要していたことがあった際に
警察に「強要罪だから逮捕して」と携帯電話で通報した。

 

すると
それが盗聴された結果
マスコミが「コンビニ店員土下座強要事件」を報道した。

 

また、
私が大手メーカーの下請けとして働いていた際に
法律上は別会社である以上、いかに下請けだからとしても
最低限敬語を使うべきではないかという話を自宅でしていた。

 

それが盗聴され、公にされた結果
適菜収さんに触れて「今週の馬鹿」として記事になった。


「安部首相夫人が別会社にも関わらず
 経営方針に口を出すのはおかしい」といった内容であった。

 

他にも適菜さんは、たくさん触れてくださったため
以前、私のほうで盗聴実態について赤裸々にメールしたところ
私については一切触れなくなった。

 

また、この話とは別で
SEALDSデモ行進について自宅で話したことがあった。

 

私にはデモ行進とは
クレーマーにしか思えない。


事前に与党が法案を通すことを
有権者に約束した上で立候補したのであれば
約束通りの法案を通したことに対して
不平不満を言うのはおかしいと。

 

だから、他人に期待して不満を
公道で叫ぶのではなく、他人の期待に応えられる人間に
なってほしいとテレビを見ながら喋っていた。

 

それが盗聴され、公にされた結果、
テレビ番組で「北村晴男」や「橋下徹」が
それを受けて同様の発言をされたように思えた。

 

また、このSealdsに付随する話であるが、
以前、Sealdsのデモ行進を見ながら
デモ行進と民主主義は何も関係がないと
誰かがハッキリというべきだと発言したところ
これが盗聴され、公にされた。

 

小林よしのりさんが
私に返答してくださるように、
デモ行進と民主主義が無関係であることを
説明していたことを覚えている。

 

 

ちなみに、私の盗聴ブログについて
よく文壇で触れていただいたが、その際
頻度高く触れてくれた論客は以下の通り。

 

宮台真司
・適菜収
東浩紀
若松英輔
小林よしのり
福田和也

 

⑥、道徳の基礎について

 

以前、道徳の基礎付けに
興味を持っていた時期があるが
その際の考察材料としてSMを扱っていた。

 

SMは一般に支配・被支配の関係であるが
別の見方をすれば「Sは相手の悲しみを自分の喜びとして受け取ること」
「Mは相手の喜びを自己の喜びとして受け取ること」と言える。

 

そして、「道徳とは相手の悲しみを
自己の悲しみとして受け取ること」と定義できる。

 

以上から、道徳とSMの関係を
明確にすべき上記記述を携帯電話にメモしたところ
盗聴され公に晒された。

 

その結果が、あの松本人志R100」予告版である。

 

R100 [DVD]

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また最近であるが、
あの映画を通じて松本人志はボケることを通じて
羞恥心を人前に晒すことに喜びを感じる笑いの醍醐味と
Mとして羞恥心を人前に晒すことに喜びを感じるSMの醍醐味の類似を
述べたかったのかなと自宅で喋った。

 

それが盗聴され公に晒され
「千葉雅也」さんが以前twitterでその話について触れていたように思えた。

 

ただ、松本人志さんは
私のことについて好意的に見てたように思え、
松本人志の放送室では私の盗聴ネタが頻出であった。

 

しかし、私の暴力団批判を契機として
吉本芸人は私について一切触れなくなった。

 

また、
道徳の基礎付けに関連する話として
アウトロー債権回収行為があった。

 

アウトローが債権回収を行う際に弁護士相手に
「俺は死ぬの怖くないから法律なんか守らない」と騒いでると最近、聞く。

 

あれは随分前に永井均さんの受け売りであるが、
「なぜ人を殺してはいけないか」を考えていた際に考えたことである。

 

第199条
「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」

 

この条文を引っくり返して以下のように読み替えて

 

第199条
「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処されてもよければ
 人を殺してもいい」

 

死を恐れなければ何でもできるんだと
知恵袋で書いたものが盗まれた結果、公にされ
あのような形になった。

 

随分前であるが、
西村ひろゆきさんが「無敵の人」という言葉を作ってたが
あの言葉の元ネタは私である。

 

また、この無敵の人ネタであるが
これは以前見た「しくじり先生」でヒロシが同主旨の発言をしていた。


また、これは道徳の基礎付けと若干関連があるが
「糞貧乏長屋」という発言が一時期世間で話題になった。

 

当時、私はカウンターカルチャー批判を通じて
弱者を徹底的に糾弾していた。

 

その際に作り出した言葉が「糞貧乏人」である。

 

私は弱者そのものを批判したかったのではなく
「弱者は善である」という常識を批判したくて
上記の言葉を作った。

 

この言葉をを受けて
百田さんが「糞貧乏長屋」という言葉を
作られたように思える。

 

ちなみに
私は強者を擁護したいわけではない。

 

さらに、この考えを進めて
私は「人間とは悪である」と言い切りたかった。

 

そして
室内で「なぜ人を殺してはいけないか」という
問いは誤っており、人は人を殺すものである以上、
人間は戦争している方が普通であると自宅で発言をした。

 

それが盗聴され、公にされ、
この発言についてはSPAの福田和也さんとの対談の際に
中村文則さんが同意してくださったように思えた。


以上までまとまった盗聴被害の話であるが、
それ以後は単発の盗聴被害の話として書く。