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aska_burnishstone's diaryのコメント集、【他】

【仕事】   踏み止まる

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「共同体はカネでしかなく、

 カネのみによって共同体に依存しない

 生き方を目指す。」

 

この点について

私は以前、ユダヤ人に惚れ込み

ユダヤ人のような故郷を喪失した生き方をしたいと

思っていた。

 

しかし、

良心の呵責を感じることがある。

 

共同体に依存しなければ

生きていけない人々を見捨てることについての

良心の呵責である。

 

最近つくづく思うが、

年を経るごとに可能性は狭まり、

こうでしか生きられない人々を見る機会が増えると共に

そうした人々の優しさを感じることがある。

 

私の弱さだろうか、

この人々を見捨てて

自分だけ生き残ってもよいのだろうか。

 

レヴィナスが言うように

道徳の基礎には自己と他者の非対称性があることは

間違いないだろう。

 

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

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全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

 

 

 自己と他者は

非対称的な関係であるのに

対称的な関係であると錯覚してしまう。

 

そこに悪が潜むのだろう。

 

レヴィナス

存在の彼方へ」において

自己と第三者に関する考察をしているが、

考察において「正義」の観念を持ってくることについて

納得がいかない。

 

が、レヴィナスから

学んだこともたくさんある。

 

レヴィナスの研究書であるが、

「浦上 麻衣子」さんが博士論文として書かれた

レヴィナスにおける主体について」は勉強になった。

 

以前はWebで読むことができたが、今はどうも読めないようだ。